由緒・沿革
平安朝に忌部神戸の鎮守各社を合祀し22社総権現大宮三所大明神と称し奉り忌部神戸の総社として、神祇令により神戸の官物を共進され官祭をうけた。
以来開運産業悪病除の神として朝廷を初め國守藩主の崇敬篤く、社領の寄進、社殿の造営禁制を初め社参代参等あり。
明治44年其筋の指示に基き一村一社として隣保親睦の実行を期するため村内の式内村社久多美神社、無格社素鵞神社、七次神社、山智神社を合祀し忌部神社と改称した。
昭和6年郷社に列す。
平安朝に忌部神戸の鎮守各社を合祀し22社総権現大宮三所大明神と称し奉り忌部神戸の総社として、神祇令により神戸の官物を共進され官祭をうけた。
以来開運産業悪病除の神として朝廷を初め國守藩主の崇敬篤く、社領の寄進、社殿の造営禁制を初め社参代参等あり。
明治44年其筋の指示に基き一村一社として隣保親睦の実行を期するため村内の式内村社久多美神社、無格社素鵞神社、七次神社、山智神社を合祀し忌部神社と改称した。
昭和6年郷社に列す。