由緒・沿革
創建年不明 出雲国風土記に大神岳との記載があることから、それ以前より信仰されていたと思われる。初期は大山頂上を望む中腹に作られた遙拝所のようなものだったと思われるが、平安期になると大山にも仏教が入ってきて、御祭神の大己貴命に地蔵菩薩を祀り大智明権現の名を称し、神仏混淆の神社として崇め、近くに多くの寺院を建て、平安鎌倉期には三院百八十坊僧兵三千とまで言われるようになった。
しかし大山は雪深い地であり、冬期の奉仕は困難であったため下流の地にも社を建て冬宮とした。その後この冬宮は3度場所を移し、承応2年(1653)米子市尾高の地に建てられたのが現在の本社である。
明治4年に尾高の冬宮は国幣小社に列せられ大神山神社本社となり、ついで明治8年には大山の夏宮も地蔵菩薩を除き大神山神社奥宮となった。.
特殊神事
「奥宮古式祭(神水汲取神事・もひとりしんじ)」「もひ」とは水の意。毎年7月14日深夜から15日早朝にかけて(古くは旧暦6月14~15日)神官が先達と共に大山山頂近くにある池に登り、御神水と御薬草を採り、国家安泰・庶民健康平安を祈願する。持ち帰った御神水と御薬草は待ち受けた信者に配布する。
地域の伝統行事
「大山夏山開祭」 毎年6月第1土曜日から日曜日にかけて大山夏山登山の安全を祈願する。土曜日の夜は前夜祭を行い、約二千本の松明を掲げた人々が奥宮から旅館街下の博労座まで下る。
翌日曜日には大山山頂にて登山者と共に安全祈願祭を行う。