由緒・沿革
身武智神社の由緒記によれば、下倉の山林に一匹の老猿が現れ、その猿を猟師が撃ち落そうとした。しかし、猿は逃げようとせず木の上より手を合わせ頭を叩き命乞いをしていたが、猟師はこれを聞き入れず猿を射落としてしまった。その後、当部落に悪い病気が流行し始め、下倉地区の人々は恐れおののき、一同協議の末出雲大社に参詣し、平癒を乞い熱い祈りを捧げた。さしもの悪疫も日ならずして鎮まり平癒のほうへ向かった。そのあまりにも顕著な霊験と宏大な御神徳とに驚き感激し、出雲大社の御分霊を勧請し新に一社を建立し下倉の産土神として奉斎した。また老猿の慰霊として境内に石の小さな祠を造り猿宝殿と称している。創建年代は不明であるが、棟札によれば元禄十二年以前であると思われる。
社名の「身武智」は御祭神の大己貴命(オオナムヂノミコト)の御名を戴き、「己貴」を「ミムヂ」と読み之を充てたものであると思われる。
昭和二十三年三月一日に社殿を焼失するが、御神体は境内社の八幡宮に奉斎し、拝殿は同年に新築する。平成十九年に本殿を新築し、本殿遷座祭を斎行して現在の御社殿になる。
地域の伝統行事
毎年十月九日の例祭に合わせ、猿宝殿祭を執り行い、老猿の御霊の慰霊を行っている。