由緒・沿革
兵主神社(ひょうしゅじんじゃ)の御祭神は大国主神、少彦名命、大山祇命と事代主命が祀られています。兵主神は古い中国の史書に出る神で、武神です。大国主神にも八千矛神という別名があるように武神としての一面もありました。社は大黒山(だいこくさん)の頂上にあり、その眺望は絶佳です。この山は大国主神が少彦名神と共に登り、「出雲の国に稲作を広めたり、海のものを多くとったりして国を豊かにしよう」と平野や内外の海を眺められたとされています。山頂から少し降りた嶺に大きな岩(御相談岩)があり、その岩の上で出雲の地をどう治めるか相談されたと言われています。医療の神、温泉の神としても有名な両神です。周囲に薬草が多く自生し、湯の川温泉もある大黒山はお考えをまとめるのに良い地だったのでしょう。
また山頂にある展望台の側に大国主神が座られたと言われている腰掛岩があります。その昔、大国主神の御殿は山中にありましたが、不便を感じ移転しようと考えられ大黒山山頂の岩に腰掛けて開拓された出雲平野を眺め、新たな住居を今の出雲大社に決められたと言われています。
大黒山の山頂には、砂山が作られ砂守様として祀られています。大国主神は、風雨によって山が削られ、低くなることを大変お嘆きになられていました。そこで、参拝者は一升の砂を持って登り、そのうち一合の砂を持ち帰り田に撒いたところ災いがなくなり、作物もよく育ったと言われています。そのため、大黒山の山頂は砂地となり、参拝者が奉納する砂山が設けられています。
兵主神社の「兵主」は、「神社辞典」には「ひょうず」と読むと示されていますが、地元では「ひょうしゅ」と呼ばれています。御祭日は4月20日に春祭と7月20日に夏祭が執り行われます。春祭では、地元の保存会によって獅子舞が奉納されます。御神徳は、五穀豊穣・国土安穏・家内安全です。
創建年代は不明ですが、元禄期(1688~1704)の棟札が残っていたようですので(「取調書」)、近世初期の創建と考えられます。明治14年当社火災によって消失しましたが、直ちに本殿拝殿を新築しました。大正7年大改造を行って、本殿を別棟とし通殿拝殿を設けました。その後、幾度かの遷宮・改修を経て、平成23年11月全面改修の遷座祭を行い現在に至ります。
明治40年の神社整理令によって、県から兵主神社を諏訪神社に合祀するよう指導がありましたが、地元からの反対によって免れました。




