由緒・沿革
当社主祭神天穂日命が、大国主命との国譲りの交渉のために先遺隊として派遣される祭、高天原より六甲山頂にある盤座に降臨されたのち、出雲へ向かわれたと伝えられている。その後、六甲山の麓である現在の社地に命をお祀りする社を建てたのが創祀とされる。
境内地周辺は古くより天神山と称されるほか、境内には横穴式石室古墳や平安時代の歌人、猿丸太夫の墓があるこおとから、聖地として崇められてきた。
明治の神社合祀令により、芦屋村に点在していた数々の鎮守の社が本社に合祀されて、芦屋総鎮守となった。昭和の初め頃に芦屋が別荘地として発展してゆく中で、昭和5年に社殿をはじめ境内が整備された。昭和21年、天神社から芦屋神社に改称。
特殊神事
花祭・山勝祭(四月第一日曜日 春祭り) 中世の頃から芦屋村と近隣の村との間で山の権利と村の境界を巡る争論が繰り広げられていたが寛延3年(1750)2月17日に芦屋村の勝訴となり、村の境界が確定した事を受け、勝利を祝し神社の祭礼日とした。
現在では新暦に直し、4月第1日曜日を山勝祭と称し祭礼や神振行事が行なわれる。
境内にコバノミツバツツジが美しく咲いていることから花祭とも呼ばれている。
地域の伝統行事
・鳳輦 神奉祭の渡御に用いられる屋根に鳳凰の飾りがある車。現在は昭和初期に作られたもので、神社の祭礼に併せて市内を巡行していたが、交通網の発達により昭和40年代を最後に長く中断していたが、近年氏子からの強い要望を受け、平成25年3月に40年ぶりに復活した。古儀を復興したものであるが、今後地域の新たな伝統行事となることが期待されている。
・他車(だんじり) 祭礼で曳く他車の一種、京都の祇園祭の曳山が地方に伝播してゆく過程の中で様々な進化を遂げていったもので、起伏に富んだ芦屋の他では阪神間に多く見られる小型の他車が朱流である。江戸期より祭礼時には各集落より他社が神社に巡行していたが、近代に入り都市化が進むにつれ戦後は次第に下火となり一時中断していたが、昭和50年代より復活の兆しを見せ始め現在では秋の祭礼の前後に巡行が行われている。