由緒・沿革
式内社、延喜式神名帳九・十巻登載の2861社の内の1社
宝亀5年1月10日岡本修理大夫知恒播磨掾を拝す。同3月播磨国
多可部大志野に赴き、森四町余を開く。
延暦3年甲子6月14日に兵主五社大明神をこの地に勧請する。
拝殿(県重要文化財)茅葺き平家建て天正19年安土桃山時代建立
豊臣秀吉が毛利討伐中国地方攻めの時、三木城主別所長治との抗戦に
当り、黒田官兵衛に託し当神社で戦勝祈願をし勝利を治めお礼参りの
奉納金で拝殿改築される。
特殊神事
秋の例祭の神幸行列
猿田彦を先頭とし大名行列の型式を以て鋏箱毛槍大鳥毛等囃唄を歌い
神興の稚児・舞姫・総代役員・神主が続き神殿へと進み、煙火の合図で
各地区の屋台(布団太鼓)が次々と天下泰平五穀豊穣を祝い練込む。