由緒・沿革
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第10代崇神天皇6年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている。(2100余年前)奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して当社に参拝し、交通安全を祈願された。
また、世界最大最強を誇る「戦艦大和」の守護神とされた。同艦も、昭和20年4月7日、沖縄南方にて轟沈した。その英霊、第二艦隊司令長官伊藤整一命外、2,736柱と護衛艦の方々が境内の祖霊社に合祀されている。
特殊神事
1月4日 御弓始祭
御祭神八千戈大神(やちほこのおおかみ)の例祭。新年を迎えての弓打ち神事として厄払いで、1年の健康と作物の豊作を祈願する。
2月10日 御田植祭本社の御祭神の御一座なる御年神は田畑を守りて穀物に幸ひ給ふ大神なれば、往昔より鍬山祭御田植式と稱してこの神事を執行せられたるものなり。地元小・中学生9名《田人(男3人)巫女(女1人)田植女(女5人)》にて前庭を田んぼと見立て、昔ながらの鋤入れから田植えまでの稲作過程を擬似的に演ずる農耕儀礼をおこなう。
4月1日 ちゃんちゃん祭大和の国の地主神・大国魂大神の例祭と渡御祭。
通称、ちゃんちゃん祭り。氏子の頭屋、稚児など200余名で各町内より供奉し行列順にて、各神具等を捧持し、ちゃんちゃん鐘を合図に成願寺・岸田を経て、中山郷大塚山の御旅所まで約2Kmを往復する。御旅所では、翁の舞、龍の口の舞が奉納される。山の辺の道を鉦鼓を鳴らしながらの長い行列はいかにも大和の春一番の祭りにふさわしい風物詩とされている。
地域の伝統行事
9月23日 紅しで踊り 天理市指定無形民俗文化財に指定。
江戸時代、干ばつに苦しむ農民が大和神社に雨乞いを行い、願いが成就し豊作となり、感謝の気持ちを踊りで奉納した。一時途絶えたが、昭和33年に女性だけで紅しで踊りが復活(紅しで保存会)。近年では、地元幼稚園児も参加している。