由緒・沿革
古来山王権現と称し明治3年4月現在の社名になった。近江国山王総本宮日吉大社より御分霊を勧請し、当村の氏神として奉祀した。創建の時期は不詳。明治5年郷社に列し、同41年8月、大字薭島の堤根神社を合祀し、現在の祭神は三神となった。同42年8月、神饌幣帛料供進社に指定された。境内は307坪を有し、本殿の外に、拝殿・手水舎・社務所・大石燈籠を存す。大燈籠は明治初年に三ツ島村が大阪の石屋から買取ったもので、大正の頃までは当地の樋口家で燈明をあげていた。
本殿前の大楠は、「薫蓋樟」と称し、根元に瘤起多く、目通り周囲約13.1m、高さ約30m、枝振りは東西に約40m。昭和13年(1938年)5月10日付で、当時の内務省より国の天然記念物に指定された。少なくとも1000年以上の樹齢をもっていると思われる。根元に碑があり、左少将有文の歌が刻まれている。「村雨の あまやどりせし 唐土の 松におとらぬ樟ぞ此のくす」
特殊神事
秋祭前の日曜日に上三ツ島樋口座・中村座、下三ツ島樋口座・中村座・倉座の五座が、それぞれ当番の家に集まり神饌を作られ、宵宮早朝各座より本殿に特殊神饌が奉納される。
地域の伝統行事
秋祭前の日曜日午前9時より、上三ツ島・下三ツ島の地車2台が地域を練り廻る。午後1時宮入り、地車囃子・龍踊りを奉納。午後5時頃まで開催。