由緒・沿革
光仁天皇の御世、宝亀2年(西暦771年)、尾張地方に疫病が流行したので、人々が素盞鳴命を大己貴命と合わせて祀 り、病災除去の氏神としたのが発祥です。
その後、大同2年(西暦807年)、平安時代の官人、橘逸勢(たちばなのはやなり)が社殿を建立、また、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合の説が広まり、山王宮と称されるようになりました。
一方、傀儡の人々には、当社が日本で唯一の本来の山王宮であり、「古山王」という舞が当社で舞われていたという伝承があります。
13世紀末には当神社の興隆著しく、社殿を修築し、祠官を定め社領が奉納されたと伝えられています。尾張の国府が清洲に移されてからは、清洲総氏神として信仰を集め、四千坪以上の境内地に荘厳な社殿を構えていました。
天正8年(西暦1580年)、清洲城代織田信張公は、近江坂本の日吉大社より大山咋神と摂社21社を勧請し、現在まで伝えています。
また、尾張徳川吉通公は当神社の御分霊を稲荷社とともに、現在の名古屋市古渡町に山王稲荷として奉斎し、その御分霊は現在、当神社の境内末社として祀られています。
明治以降、社名を山王宮から日吉神社と改め、旧社格制度のもとでは、県社として尊崇されました。
特殊神事
はきだし祭 11月第2日曜日 午後2時
はきだし祭の神事
傀儡神舞の奉納
皿割り神事
厄落としの「大根煮」の振舞い
遠い昔、傀儡と呼ばれた芸能者が旅の途中、当社に参詣し神前で神舞を奉納し、世俗の怨念、苦しみを祓ったと言い伝えられています。これを「はきだしまいり」といいました。
今、人は生活の中で様々な苦しみ、悲しみ、恨みを感じます。その延長に犯罪や事件があり、家庭問題も同様です。このような感情のわだかまりや執着を捨て、赦しと癒しの心で他者と向かい合えるように、祓い清めましょう。
地域の伝統行事
10月10日の日吉神社の「例祭」の前の土曜日または、日曜日の夜に提灯屋形が町内を巡行いたします。
8月1日午後6時より午後9時半までの「輪くぐり神事」このお祭りは神様の御神威によって、災厄を取り除いていただく古来の神事です。
当夜は日吉神社のもっとも賑わうお祭りです。夜店が出店し、境内は献燈で照らされ、神楽が奉納されます。