くにたまの会

由緒・沿革

古代出雲族が関東開拓の拠点地に崇敬した氷川神を祀る。東京都奥多摩の氷川神社「上(かみ)、奥氷川」と当社、更にさいたま市の一の宮氷川神社を武蔵國三氷川と称し、当社は中間に鎮座するため、中(なか)氷川神社と呼称されてきた。
武蔵國造の崇敬厚く延喜式神名帳に記載されている。中古は入間・多摩二郡またがる九十二ヶ村の総鎮守として、また、山口城主、豊臣秀吉、徳川幕府にも尊崇され、旧県社の社格を賜った。
現在山口貯水池の湖底に埋もれた旧勝楽寺村(朝鮮半島より日本に渡来した百済・高麗人の居住した地)の七社神社を合祀。敗戦後の昭和二十年十一月二十五日連合国軍総司令部(GHQ)の高官が全国の神社の中より宮内省雅楽部多忠朝氏の琴を始めとする五人の部員が奏で、少女四人が浦安舞を舞う。当社の臨時新嘗祭を視察した事は、その後の神社界の命運を左右した祭でした。
御本殿は大社造銅板葺(心の御柱二十五尺)にして狭山丘陵の杜にお鎮まり御神徳は今も広地域至っている。

中氷川神社

なかひかわじんじゃ

鎮座地
埼玉県所沢市山口一八四九番地
URL
http://www.nakahikawa.or.jp
御祭神
素戔嗚命
稲田姫命
大己貴命
七社大神
例祭日
四月第一日曜日
交通
西武狭山線下山口駅徒歩十五分
Map
埼玉県所沢市山口一八四九番地