由緒・沿革
当神社は室町時代・嘉吉3年(1443)当地に勧請鎮座されたと伝えられている。
御祭神は大己貴命(=大国主神)、後永禄6年(1563)、京都・天台宗修験道大本山聖護院末寺である役流山不動院末寺である太雲山南学院が当社の別当寺として開基された。
この南学院開祖である大僧都法印頼憲が、現在の久伊豆神社社家である矢島家の初代に当たる。
開山以降、矢島家は累代別当寺社僧を務めたが、第十四世慶久の明治元年(1868)に至って、神仏判然令に従い還俗し、以後は神職として久伊豆神社の祭祀を奉仕している。
特殊神事
昔より、毎年八坂神社にて7月14日に灯篭祭が行われ、子供達が集まり、紙の灯篭にキュウリやナスの絵を描き境内参道にくくりつけて燈明とし、大人・子供交えて祭りを盛り上がった。しかし、その後、やがてこの末社八坂殿は衰退した。
地域の伝統行事
江戸時代、参道入口に2本の大木(一本の杉と称されていた)があり、現在、社号額(久伊豆神社)と一対の”のぼり立て”及び一の名の鳥居が在している。