由緒・沿革
創建の年代は不詳だが、平安時代中期頃と推測され、古来除災招福の神として武蔵七党の
一である私市党(騎西党)をはじめ、武士や庶民の信仰を集めてきた。応仁年間には伊豆
国宇佐美の領土である宇佐美三八郎重之が埼玉群騎西の地を領するところとなり当神社に
古刀を奉献し、篤く尊敬したといわれる。近世に入ると、徳川将軍家も篤く崇敬し、二
代将軍忠秀、三代将軍家光も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝えられ、徳川将軍家から
奉納された葵の紋入り金蒔絵の膳椀などが伝わる。明治の御維新の後は越谷の総鎮守とし
て明治六年四月に郷社に列格され、以来、益々の繁栄、賑わいを見せ現在に至る。今日で
は氏子区域のみならず、県下はもとより広く全国に瓦って信仰崇敬を集めている。
特殊神事
・御燎祭
昔から十月は「神無月」といわれ、全国の神々が出雲へおでましになるという信仰が古来
広く普及しているが、当社では、神様が末日の夜には神社にお帰りになるという信仰から
この御燎祭を斎行し、境内にて篝火を焚き神様をお迎えし。あわせて氏子・崇敬者に一年
間火の災いのないようにと祈願祭を執行する。当夜は古神札や古熊手などを持参した多数
の参拝者が篝火にてお焚き上げをし、この火に当たると風邪にかからないといわれている。
地域の伝統行事
・藤祭太々神楽事(五月一日)
氏子中の神明神楽の講員が御神楽を奉納し、営業繁栄や家内安全の祈祷をした後、参集殿
にて直会しながら境内の県指定天然記念物の藤の花を愛でるという優雅風流な行事。以前
は五月九日が祭日であったが、藤の開花時期が早まったため五月一日に変更して実施され
ている。