由緒・沿革
約1300年もの昔、茨城県は常陸国と呼ばれ、中心地である国府は石岡市に置かれていた。国司が国内の神々を祀るため、国衙南方の丘にある倭武天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)が腰かけた神石の側に社を造営したのが当宮の始まりである。社宝「総社文書」には中世以来一宮鹿島神宮とともに人民の崇敬を受けてきた歴史が記されている。近世から近代には例大祭の規模が拡大し、関東三大祭の一つと称されるようになる。
特殊神事
・例大祭(9月15日・敬老の日を最終日とする三連休)は創建以来続く国司の祭祀に時代に応じた様々な要素が加わり発展してきた。例祭に伴い、3連休の土曜日には氏子36町のうち15の「年番町」が1年交代で神々を迎える「仮殿」に大神輿が渡御し、30台を数える幌獅子が大行列を組む。日曜日には奉納相撲が行われ、月曜日には大神輿が還御し年番が次の町内へと引き継がれる。
地域の伝統行事
・幌獅子 縦横約60cm、重さ30kgの大型の獅子頭に幅3m、長さ5mの台車が胴体として付属した出し物。氏子町内ごとに異なる色に染めた幌をかけるための呼称で、例大祭の神幸行列に供奉する。周辺市町村の祭礼でも同様の幌獅子が見られる。