くにたまの会

由緒・沿革

天平2年(730)、出雲氏族の1人・真神田臣により御祖神・大己貴命を祀られ、現在の千代田区大手町にある将門塚周辺に創建された。約1300年の歴史を持つ江戸東京の神社の中で最も古い神社の一つである。延慶2年(1309)に、東国の英雄として庶民たちより仰がれた平将門公をご祭神として合祀された。
慶長8年(1603)、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城を拡張する時に、当社は社地を江戸城から表鬼門の位置にあたる現在の地へ遷し幕府よりご社殿が造営された。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、江戸幕府・徳川将軍はじめ江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けた。
明治時代に入り准勅祭社、東京府社として皇居及び東京の守護神と仰がれた。明治7年(1874)、平将門命は一時摂社・将門神社に遷座され、神田明神に少彦名命が合祀された。
平将門命は、その後、神職と氏子総代をはじめとする氏子崇敬者の懇願により、昭和59年、再び神田明神の三の宮ご祭神に復座された。
明治7年、明治天皇が当社へ親しくご参拝なさった。それを記念して紀元2600年の年・昭和15年に「明治天皇御臨幸記念碑」が社殿前に建立され現存している。
明治時代の一時期、当社が大己貴命を御祭神と祀っていたため、出雲大社東京出張所が当社境内に設けられ、同所長として当社祠官・本居豊穎ほか神職たちが大社教の教正として教化活動を行った。また当社では、幽冥界の主宰神・大国主大神の御神徳をいただき、徳川慶喜公をはじめ皇族、政府要人ほか多くの人々の神葬祭を奉仕し今に至っている。

特殊神事

神田祭
天下祭と呼ばれ、日本三大祭、江戸三大祭の一つとしても有名である。
徳川家康公が天下分け目の関ヶ原の合戦に臨んだ時に当社で戦勝祈祷を行い、神田祭の日に勝利を得たことから縁起の良い祭礼として以後絶やすことなく執行するよう命じられ、2年に一度行われた。江戸幕府・徳川将軍をはじめ江戸っ子たちの厚い崇敬を受け、神田・日本橋を中心とする町々より三十六番の勇壮な山車や曳き物・仮装行列などの附祭(つけまつり)の行列が、江戸城内に入り徳川将軍が上覧した由緒ある祭礼であった。
今日の神田祭は、2年に一度、鳳輦・神輿をはじめとする賑やかな大祭礼行列が、神田・日本橋・秋葉原・大手・丸の内の広大な氏子108町会を一日がかりで巡行する「神幸祭(しんこうさい)」と、各氏子の町神輿約200基が町で担がれ、神社へ迫力ある宮入をする「神輿宮入(みこしみやいり)」などが賑やかに行われている。

地域の伝統行事

神楽始(かぐらはじめ)
氏子総代により、1月中神田明神のご神前に奉納される太々神楽である。この太々神楽は、江戸時代より神田明神の神職と巫女が氏子町の人々の奉納により奉奏し、神田明神以外で演じることを許されなかった。明治維新以後は若山社中によって演じられ、現在にいたっている。なお若山社中は「江戸の里神楽」の一つとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
その他、氏子町の人々を中心にした神田囃子(東京都無形文化財)や神田明神将門太鼓・稚児太鼓などが、例祭日や七五三の日などに奉納演奏されている。

神田神社(神田明神) 

かんだじんじゃ(かんだみょうじん)

鎮座地
〒100-0021
東京都千代田区外神田2-16-2
URL
http://www.kandamyoujin.or.jp/
御祭神
大己貴命
少彦名命
平将門命
例祭日
5月15日
交通
  • JR中央線「御茶ノ水駅」より徒歩5分
  • JR山手線「秋葉原駅」より徒歩7分
Map
東京都千代田区外神田2-16-2