由緒・沿革
創祀は神代と伝えられ詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日、本宮山に御神霊が鎮まりとどまられました。
後に、現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。
それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、十二段舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には徳川将軍家はじめ朝野の崇敬を賜りました。
元亀3年(1572)の戦では、家康公は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。後に勝利を得た家康公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建し、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。
明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に出雲大社の御協力により、「大社造」の御本殿を有する御社殿が造営され現在に至っております。
平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。
特殊神事
〇 十二段舞楽(国指定重要無形民俗文化財)
(例祭日4月18日に一番近い日曜日奉奏)
天宝元年(701)2月18日、勅使が奉幣した折りに舞ったことが始まりと伝えられ、大神様に誠心をもって奉納することを本義としています。
演目は全十二段あり、うち六段を子供舞、他六段を大人舞で構成されています。中央の舞楽で失われた古態が部分的に現存し、そこに独自の文化的価値があるとされています。
〇 田遊祭・田遊神事(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)
(1月3日斎行)
年の始めに豊作を祈り、田作りから刈り入れまでの稲作の作業過程を模擬的に演じる神事芸能で、一番の「素鍬(」から十二番の「歌おろし」までの十二段の演目により構成されています。
朴訥な所作と唱え言を中心とした見立て芸からは古を偲ばせる貴重な神事です。今も昔も変わることのない「祈り」の姿に多くの方が関心を寄せています。
地域の伝統行事
〇森町の三大舞楽
「森町の三大舞楽」として貴重な舞楽が継承されています。小國神社の十二段舞楽、天宮神社の十二段舞楽、山名神社天王祭の舞楽はいずれも古の息吹を残す貴重な文化遺産であり、国指定無形民俗文化財となっています。
常に神々を敬う心をもって、それぞれの神社と地域の住民が大切に護り、受け継いできた神事です。