くにたまの会

由緒・沿革

御鎮座の年代は、第12代景行天皇の御代と伝えられており、太古悠遠の時代に属します。
第40代天武天皇の御代に蝗害により勅使を遣わされてより後、光仁天皇宝亀12年(780)従五位に、さらに清和天皇貞観元年(859)正三位に、安徳天皇治承4年(1180)に正一位に列せられました。当時は多くの社領荘園を有していましたが、現在は「神子畑」という地名だけ残っています。また、「大宮司」「勧学院」など往時の面影を偲ぶ地名も残っています。
戦国時代に入り、往古の繁栄は何処へ。社頭は荒廃し、人心も乱れた時代でした。江戸時代になると、加賀藩主前田家の篤き崇敬の誠心のもと、御神威は高揚し、明治以降は明治6年に県社、大正12年(1923)に国幣小社となり、翌13年、摂政宮(昭和天皇)の御使(牧野貞亮東宮侍従)が御参拝されるなど皇室国家からも篤く待遇されました。昭和20年に大東亜戦争終結となりましたが、戦前戦後を通し、この地域の守護神として崇敬され今日に至っています。

特殊神事

祈年穀祭(きねんこくさい)
砺波の里は古来より農耕を中心として栄えてきた土地柄であり、越中開拓の祖神をまつる髙瀬神社には農事に関する祭典が沢山あります。その祭典の中でも、祈年穀祭の起源は古く、社伝などの記録によりますと、天武天皇の御代に遡ります。当時、この地域周辺の農作物は病虫害により甚大な被害がもたらされ、天武天皇はこの事をご憂慮なされ、天武天皇9年(860)4月に当神社に勅使を遣わされ、幣帛を献上、事態の収束と豊作を祈願された事がお祭りの始まりとされています。
その後、社頭衰退により一事中断となりますが、明治19年(1886)6月に害虫発生の為、稲作に深刻な被害に遭った際、相馬朔郎砺波郡長は、郡内全戸へ祈年穀祭参列を促し、郡長自ら奉幣使となり忌火を奉って祭詞を奏上し、その忌火を郡内全戸に分与して田毎に点火し、害虫誘殺を行いました。以来、郡長が奉幣使として参向されました。郡制廃止後は、幾多の変遷を経て、現在は砺波地区農業協同組合協議会長が奉幣使となって参向されております。祭典の翌日には、御神火を奉持して御神輿が地域の農協本店を巡幸し、豊作と農家の繁栄を祈念する祭儀を斎行しております。

地域の伝統行事

よいやさ祭
旧井波町市街地に鎮座する井波八幡宮において「よいやさ祭り」と呼ばれるお祭りが斎行されています。
このお祭りは、天保4年(1833)に始まったもので、5月2日の宵祭りに始まり、大神輿の繰り出す3日の本祭りに続きます。本祭りでは、華麗で豪壮な3基の大神輿(京神輿)、子供神輿3基による渡御行列が傘鉾(かさほこ)や四神旗(ししんき)などを供奉しながら町通りに繰り出し、氏子の各町内では、この祭事を祝って、伝統芸能の井波彫刻が施された大獅子が笛や太鼓にあわせて舞い、優雅な囃子にのって4基の御殿屋体が町内を賑わせます。
町の人々から「よいやさ祭り」と呼ばれているのは、「よいやさ・よいやさ」と神輿の担ぎ手(力者)が力動感溢れる掛け声を掛けていることが所以になっています。

越中一宮髙瀬神社

えっちゅういちのみや たかせじんじゃ

鎮座地
〒932-0252
富山県南砺市高瀬291
URL
http://takase.or.jp
御祭神
大国主命
【配祀】
 天活玉命、五十猛命
【末社】
神明宮 天照皇大神(本殿に合祀) 
風宮  級長戸辺命(本殿に合祀)
天満宮 菅原道真公(本殿に合祀)太宰府天満宮より勧請
髙瀬稲荷社 宇迦之御魂大神 伏見稲荷大社より勧請
功霊殿 富山県南砺市、砺波市、小矢部市及び、高岡市一部出身の戦没者、地方開拓の功労者を祀る
例祭日
9月13日
交通
【車でお越しの場合】
  • 北陸自動車道   砺波ⅠCより約15分
  • 東海北陸自動車道 福光ⅠCより約15分
  • 名神高速自動車道一宮JCTより約2時間30分 東海北陸自動車道→福光IC
  • 金沢森本方面より国道304号線で約30分
  • 金沢もりの里方面より金沢井波線で約30分
【電車でお越しの場合】
  • 北陸新幹線 新高岡駅下車 タクシーで約40分
  • 金沢駅下車  タクシーで約40分
  • JR城端線 福野駅下車  タクシーで約7分
Map
富山県南砺市高瀬291