由緒・沿革
明治40年、元日吉神社に元速日神社を合併して日速神社と改称す。日吉神社は往昔氏子なる山田、原田の祖先が近江国坂本村日吉神社より勧請したとの伝説あり。後、元亀年中 原田・山田の子孫上方より帰国の祭、奉賛のため境内に信濃柿を植え、石段を健立せりと伝え、共に境内に現存し、今にその祭事を怠らず、信濃柿は周囲三米六十糎古存神木として繁茂し、社景頰る古風である。
日速神社は元日吉神社南方一粁半の大谷字神山に鎮座、創立年代不詳文禄年中と元禄十一年の災害により神田等流失したため、正徳元年吉三郎なるもの土地を寄進し久右衛門、与左衛門等之を開墾して神田とし、古く伝わる御當開祭(おとびらきさい)の資に供したと伝え、今なお御當開の祭事を継続す。
特殊神事
御當開祭(おとびらきさい)
地域の伝統行事
小丸山神社祭、山神祭、龍神祭(川祭り)
共に大谷地区内の隣接する両氏子区域合同祭で、例年田植の後齋行される