由緒・沿革
小田井縣神社は、延喜式神名帳に記されている式内社であります。 御祭神の国作大己貴命は大昔、この豊岡附近一帯が泥海であって、湖水が氾濫して平地がないとき、来日岳のふもとを穿ち瀬戸の水門をきり開いて水を北の海に流し、水利を治めて農業を開発されました。第10代崇神天皇の御代(前86)の11年甲牛春の3月10日、四道将軍谿羽道主命が大神の偉徳を聞き深くこの功績をたたえられ、天皇に奏上し、勅許を得てご神霊を鎮祭したと伝えられ、この地方開拓の祖神であります。
その後、代々の縣主が、この地方の開発と拓殖につとめ、祭祀を営んだとつたえられ、
四方の崇敬篤く国中屈指の古社であります。
・天正3年(1333年)の野田合戦で焼失、貞享年中(1684~1687年)社殿を再興し、元文年中(1736年~1740年)社殿を改造し現今の春日造の社殿がそれであります。
・明治6年(1873年)社格が定められ県社に列しました。
・明治11年(1878年)途絶えていた河内神事、矛立神事など古代神事を復古しました。
・昭和6年(1930年)円山川治水工事ため現位置に移転。
・昭和25年(1950年)河内神事、矛立神事の式年大祭を行う。
・昭和44年(1969年)堀川橋改築、堤防増強工事のため、境内の模様変え、えびす神社、川下神社、社務所の改築を行いました。
特殊神事
河内神事、矛立神事
地域の伝統行事
末社に「柳ノ宮神社」があり、毎年8月1日~2日 豊岡市最大の祭りである「柳祭り」が行われる。
豊岡市の現在の地場産業「かばん」であるが、古くは「柳行李」であった。
昭和11年(1936)、柳行李産業の発展・恩恵に感謝し、柳ノ宮神社を設立し、じ後主として7月に毎年「柳祭り」が実施されたが、現在は8月1日~2日に行われる。
8月1日、午後4時神事の後、5時、神輿は柳祭のお囃子のもと幼稚園児たちの引く稚児行列で豊岡駅まで巡行、午後7時半、神輿は焼く100名担手により大通りを練り歩き、柳ノ宮本社に還幸する。2日は各種催しと夜は花火で終了する。