由緒・沿革
神功皇后が朝鮮遠征の帰途明石川を船で上り此処で一休みして「大国主を此処に祀れ」と命じたのがこの惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1704)9月再建し、太山寺密教院の定樹法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは再建の時の事を指すと思われる。又、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所蔵の明石郡9座の一つ物部明神を当社に当てている。5世紀後半には大和朝廷が確立し、明石の国も國造によって治められる事になり6世紀には大和王朝の物部系の郡司により郡中の神社の神々を集めて祀ったことから13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。また江戸時代、明石城主の崇敬篤く3石の黒印領寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から4世紀のものと推定され早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。現在の本殿は宝暦11年(1761)に旧社殿の古材を用いて造営されたものである。主祭神大己貴尊(大国主尊)は人々の幸福のために慈愛を注がれた極めて寛大なお心をもった大神様である。
特殊神事
秋祭り神幸祭の大榊は下の枝より14地区代表に切渡される
地域の伝統行事
4月1目春祭り、370kgの餅巻き。7月13・14目夏祭り、境内狭しと掲げられる200の絵行灯。秋祭り10月第1土曜日及び翌日の目曜日、櫓太鼓・獅子舞・神輿・鳳輦・相撲と地域挙げての総絵巻200mに及ぶ神幸行列は圧巻。