由緒・沿革
当神社は延歴25年(806年)3月11日に、天台沙門宝珠上人が近江国日吉権現をこの金沙山へ勧請した。
勧請に当たっては、海路を通り、現在の日立市水木浜へ上陸した。
徳川光圀は神道を崇め、寛文6年(1666年)水戸領内寺院997ヶ寺を廃寺したのである。その時当山の21坊は排除された。元禄13年(1700年)に定源寺は廃され、新に神社に生れ変り神鏡一面を鋳造して山王権現と刻み神蠒とした。
明治になって社格が制定され、村社・郷社、昭和になって県社に昇格した。
特殊神事
小祭礼(小田楽)は弘仁6年(815年)に始まり、7年目毎に執行する。
約3,000名の行列を組み、3泊4日の行程で25㎞先馬場町仮殿まで出社する。
磯出大祭礼(太田楽)は、仁寿元年(851年)に始まり73年目毎に執行する。
約530名の行列を組み6泊7日の行程で40㎞先の水元浜へ出社する。両祭礼共潮水行事を行う。
地域の伝統行事
田楽:田楽舞
両祭礼の涼御行列及び神賑行事の形態を見ると、今から約950年昔、京都を中心に行なわれていた田楽の姿によく似ている。
この様な形になったのは、洛陽田楽記や栄花物語の記録に見られる。
約40数年後執行の第5回目の磯出祭礼が行われた。保延5年(1139年)頃に常陸国の当地迄、伝播して磯出の祭を田楽が合体した形の祭になったのであろう。