由緒・沿革
第34代舒明天皇の御代[西暦630年](飛鳥時代)、那須郡司であった狩野三郎行広(かりの さぶろうゆきひろ)は、山間の痩せた土地に植え育てた作物が立派な大角を立てた白鹿に荒らされ続けた事に領民が苦しむ事を聞き、弓矢を携えて鹿を討つべく追った。白鹿に深手を負わせたが、この深山に逃げ込まれ濃霧の中行方を見失うところに白髪の温泉神が現れ白鹿が谷に湧く温泉で傷を癒やしている事。その温泉は万病に効果あり とのお告げを受け見事鹿を討ち取った。その後この地に社を建立し温泉神をお祀りした。正倉院文書駿河国正税帳に奈良時代の貴族が湯治に訪れていた ことが記載されている。
第83代出雲大社宮司千家尊祀氏揮毫 温泉神社社号扁額あり。
特殊神事
湯汲祭・調湯祭・献湯祭は、例大祭に取り行われます。創建起源となる鹿の湯源泉を汲み上げ神前に献上する夜の神事です。先ず祓い清めた温泉を巫女が湯桶に汲み入れる「湯汲祭」。そして温泉発見の祖、狩野三郎行広公を祀る見立神社に捧げ「発見された温泉は、これに間違いありませんか」と調べて戴く「調湯祭」に続き、御本殿にて御湯を献上し自然の恵みの感謝と永久に温泉が尽きる事が無く湧き出で那須温泉の発展を祈願する「献湯祭」の神事が行われます。
地域の伝統行事
大沢獅子舞 (大沢獅子舞)
大坂夏の陣(元和元年・1615)の翌年、大坂方の落人2名が火鑓(ひやり)村(現在の大沢)に移り住んだ。この2人が村人たちに獅子舞を教えたのが始まりであると伝えられている。那須温泉神社には、享保3年(1718)に舞が奉納された記録が残っており、以後那須温泉神社との結びつきがみられる。