由緒・沿革
遠い神代の昔、大己貴神(大国主神)が自らの幸魂奇魂(和魂)を三輪山に鎮められ、大物主大神の御名を以て祀られたのが神社の創祀。三輪山を御神体とするために本殿を設けず、拝殿(国重文)奥の三ツ鳥居(国重文)を通して神山を拝するという原初の神祀りの形態を伝えている。御祭神は国造りの神、また医薬・酒造・方除など人間生活全般の守護神として尊崇され、大和国一之宮・三輪明神として親しまれて広くその御神威が仰がれている。
特殊神事
繞道祭(1月1日)元朝に国家の安泰・国民の平安を祈って行われる。拝殿奥の禁足地で宮司により鑽り出された浄火が拝殿前にて3本の大松明に移され、氏子に担がれて三輪山麓の摂末社を繞る勇壮な火の祭典。大和の祭りは繞道祭から始まると言われる。
おんだ祭(2月6日)明治以前は正月初卯日に行われた、五穀の豊饒を予祝する祭典。拝殿の向拝を神田に見立て、田作り男が牛形や木鍬を用いて面白おかしく田作りの所作を演じ、早乙女が苗松で田植えを行うなど所々に古式を留める。参列者の笑いが大きいほど豊作になると言われている。
地域の伝統行事
江包・大西のお綱まつり(国の重要無形民俗文化財)
江包・大西両地区は倭屯田司出雲臣(やまとのみたのつかさいずものおみ)の祖、淤宇宿禰(おうのすくね)の伝承地(中世の出雲荘)で、お綱まつりは初瀬川に素盞鳴命と稲田姫の御神体が流れ着いた伝承に基づいて、両地区で2月11日に行われる民俗行事である。大西で作られた女綱が氏神の市杵島神社を出発して江包の素盞鳴神社にむかう。女綱が神社に着くと江包で作られた男綱も素盞鳴神社に向かい、神社で男綱と女綱を合体させて鳥居のそばの木につるす。男女交合に象徴されるように、豊作と子孫繁栄を祈る行事である。