由緒・沿革
玉若酢命神社の創建は、第十五代応神天皇の時代と伝えられ、現在の本殿は、寛政五年の建造である。神社建築としては、隠岐独特の建築様式で「隠岐造り」と呼ばれ、本殿の屋根が大社造の形式の切り妻入り茅葺に対し、向拝の部分が片流れ造りの檜皮葺となっている。また、屋根の上部には、千木と堅魚木があり、さらにその上に雀踊りと呼ばれる横木が通されているなどの特徴を持っている。その他、本殿とともに随神門、拝殿横にある旧拝殿が国の重要文化財に指定されている。また、境内には、八百(やお)杉(すぎ)といわれる樹齢約二千年の杉がそびえている。昔、若狭の国から来た八百比丘尼が、杉の苗を植えたという伝説からその名がついたといわれる老巨木である。
特殊神事
玉若酢命神社の例祭を御霊会という。当社の近くには国府があったとされ、明治頃までは総社(そうじゃ)村ともいった。総社とは、国司が国府付近の神社に国内の神々を合祀し、祭典を行ったことに由来する。当社を総社と称しているのはこの起源であり、この由緒にもとづき、国内神社の祭神を勧請して祭祀を執行する。往古は、「隠岐全島より四十八頭の神馬が出役し、盛儀を極めたが、今は八頭に名残をとどめる」との言い伝えがある。
各地区の氏神を神馬(しんば)に乗せ(現在は御幣)、六人の馬付(うまづき)とともに鳥居から拝殿に疾走する迫力ある神事である。