くにたまの会

〈 ご神徳 〉

当社主祭神の本地仏が釈迦如来・彌勒菩薩だったこともあり、家内安全、五穀豊穣のほか、未来と子どもの守護として知られていました。

また、日吉大社西本宮が皇室守護を担っていたこともあり、当社にも皇室守護臨時祭秘儀が残ります。

 

【 例祭日 】

5月4日

 

【 交通 】

JR湖西線新旭駅下車 高島市コミュニティバス新旭西循環線 五十川神社前 下車

(ただし、土休日はJR湖西線安曇川駅または近江今津駅下車 タクシー利用)

 

【 由緒・沿革 】

保延四(1138)年、近江國高島郡木津(こつ)荘が鳥羽院により延暦寺に寄進された際、日吉大社から勧請されました。当荘内に鎮座する式内社波爾布神社を『古宮』と称したことに対して『今宮』と称されました。荘内の古社は、熊野山(饗庭野)にあった熊野神社を北極星に見立てると、北斗七星の配列となり、当社は廉貞星の位置に当たります。

応永十五(1408)年に荘内で激しい諍いが生じ、当社と日吉二宮神社に分祀されました。両社の例祭を繋ぐと、山王祭の断片が浮かび上がるのは、一社であった名残です。

明治四十三(1910)年七月、政府の一村一社政策により、白雲宮、上山愛宕神社、五處宮の三社を合祀されました。

延宝六(1678)年、病気平癒を祈願し、領主の甲府宰相(徳川綱重公)より土地が寄進されました。また、大正八(1919)年、饗庭野演習場を視察中の北白川宮殿下がお立ち寄りになり、御親拝されています。昭和四(1929)年の第五十八回神宮式年遷宮に際して、神宮古殿舎撤却材の下附を受けています。

 

〈 参考 〉

平成三十(2018)年の台風二十一号は、境内社や拜殿の全壊、本殿の損壊など境内に甚大な被害をもたらしました。社殿の竣功奉祝祭はNHKの全国ニュースに流れるなど賑々しく斎行しました。しかしながら、それ以外の復旧は現在も続いています。

境内はドラマやCMの撮影で使用されることもあり、参拝される方からは、どこかで見た景色といわれることがあります。

 

-白雲宮由緒-

その昔、孝霊天皇が大和から敦賀に向かわれていたとき、にわかに白雲が立ち周囲が見えなくなり、進軍することができなくなった。

尊は、「いかがはせむ。」と仰せになった。この近辺が『いかがわ(五十川)』という地名になった由縁である。

身動きできずに困り果てた天皇は、椋(当地では、榎を椋と呼んでいた。)の古木に向かい祈りを捧げられたところ、雲居から健雷命がお姿を現し、尊の道中を安全にお導きになった。

この縁から、当地に健雷命をお祀りし、白雲天神と称えられるようになった。

その名は都にも知られ、保延四(1138)年十一月に、木津荘が鳥羽院から山門に寄進された際に、鳥羽院から御製を賜った。

鳥羽院御製 たづねれば こゝをあふみの古跡ぞと たれ 白雲のあめのふる神

時代はくだり、宝徳四(1452)年一月、霧がかかり周囲を見渡すこともできず、通行に支障が生じました。十日後の一月二十五日になり、雲のすき間から少毘古神がお姿を顕し、たちまちにして霧を祓い遣られた。氏子や通行する人々は、これに感謝し、少毘古神を白雲天神に併せ祀ることにした。

令和七(2025)年四月、旧跡地に鳥羽院歌碑を建立した。

 

-五處宮由緒-

当時荘園領主だった藤原師輔により建立。現在、〝御所の森〟と呼ばれている場所に建っていたが、文明十三(1481)年に定林坊惟通法印に譲渡され、結縁山大泉寺境内に遷された。

明治の神仏判然令により、明治八(1875)年に寺境内から出され、一村一社令により当社に合祀された。

 

-上山愛宕神社-

延宝四(1676)年、長清山範圭が山城國愛宕大権現を勧請した。

 

【 特殊神事 】

例祭 当社例祭は、「五十川(いかがわ)祭」といい、明治初年までは四月初申日に斎行されていましたが、現在は五月四日に執り行っています。

例祭には、稚児と山吹という童子が主役となります。山吹は、羽織袴を着装し、編み笠に山鳥の尾と山吹の花枝を挿した「ひとつもの」というものを携えます。稚児は、五色の幣を携え、御旅所で神輿に奉幣します。

稚児は三歳男子、山吹は五歳男子とされてきましたが、少子化の影響を受け、性別年齢を問わなくしています。

大神輿は応永元年に奉納された三基のうちの一基で、御所内の工房で製作されたと伝わっています。

今は別のお祭りになっている三日の日吉神社例祭、五日の日吉二宮神社例祭を併せると山王祭が復元されます。、

例祭では、明治中頃まで田楽や神楽が舞われ、流鏑馬も行われていましたが、現在は廃絶しています。

波爾布神社例祭からの一連のお祭りを追うと、荘内を流れる水の循環(熊野山から流れ出る水が荘域を潤して琵琶湖に注がれる)が見えてきます。

 

新嘗講祭 寛文二(1662)年に発生した寛文近江・若狭地震は、マグニチュード7.6と推定さ  れる双子地震でした。当地でも被害は甚大で多数の死者を出しました。

この地震により犠牲になった者の慰霊と生き残った者の感謝、地震の被害を忘れないようにと行われるようになりました。

男はやぐら建て、女は炊き出しをするなど防災訓練がそのままお祭りになっていました。

地域の高齢化が著しく、新型コロナ蔓延以降、新嘗祭前に祭典のみ斎行しています。

 

御百燈祭 先祖供養と無病息災を願う夜祭り。かつては、水無月祭と呼ばれ六月に行われていましたが、先の大戦中の油の配給の影響を受け斎行されなくなりました。かつては、若狭の能楽師による薪能が行われていました。

平成二十一(2009)年に再興し八月に執り行うようになりましたが、近年の酷暑のため九月の満月に近い日曜日に斎行しています。

 

〈 参考 〉

臨時祭秘儀 ご皇室大事の際に行う詞官家相伝の臨時祭で日彊弭と呼ばれる四篇の秘儀。当  社から分祀された日吉二宮神社社家に相伝された月彊弭と呼応して斎行するものでした。

神事の準備は周囲が暗くなってから開始し、祈祷神事は全編六時間弱を要するものです。

詞官家日記によると、寛永四(1627)年と慶応三(1867)年に行った記録があります。昭和二十(1945)年にも斎行する準備を進めていましたが詞官が病に倒れたことから斎行できませんでした。神域の舗設や祭壇の組み方は独特であり、神饌物も特殊な物で構成されます。

なお、日吉二宮神社社家が神職を離れ相伝できていなかったことから月彊弭は失われました。

 

〈 ホームページ 〉

なし

 

〈 SNS 〉

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大國主神社

鎮座地
滋賀県高島市新旭町饗庭619番地
御祭神
大己貴神
(白雲座) 健雷命 ・ 少毘古神
(五處座) 伊勢大神 ・ 春日四所大神
(上山座) 愛宕大神
 境内社 天神社 ・ 彌勒石
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滋賀県高島市新旭町饗庭619番地