由緒・沿革
垂仁天皇の御代に御神体二体を刻みて社造りして祀ると伝え、延喜式内の古社で出雲國風土記に「並在神祇官」と記されている。
御鎮座地は、古代横田庄と云い仙洞院御料地であった。戦国時代戦火にかかり御社殿炎上して古資料を失った。
明治4年郷社に列せられた。
垂仁天皇の御代に御神体二体を刻みて社造りして祀ると伝え、延喜式内の古社で出雲國風土記に「並在神祇官」と記されている。
御鎮座地は、古代横田庄と云い仙洞院御料地であった。戦国時代戦火にかかり御社殿炎上して古資料を失った。
明治4年郷社に列せられた。