本社は棟札写及び神職家譜に依れば、藤原朝臣輔弼の功を頼みて、代々枢要の顕職に居ること久しく漸くにして畏くも皇室を蔑にし、親王諸王等に向い奉りて礼儀を失うこと屢々なりしかば、我が遠い祖橘末麿、 然として匡済の志を振り起し、彼の藤原朝臣の人々の驕れる心を矯めて誠忠なる真心に引き返さしめん事を深く慮りて諸国の神社を巡拝して、祈誠を凝らししが、霊夢の神誨により此の地に止って、終に延暦6年3月一宇の社殿を建立して伊勢大神宮を斎き奉り、以て宝祚隆盛ならんことを祈り奉れり云々
本社は旧名高濱伊勢両大神宮と称し奉りしが、明治5年壬申3月12日高濱神社と改称
毛利家国主の節は、壱丈弐尺に壱丈八尺の社にて、神領高濱の内、山方分にて田弐千弐百五拾参歩、神主領千百八拾参歩を寄附せられしが、毛利退国の後、没収せられ、堀尾帯刀国主として入国の節、神主より愁訴に依り該村字宮代宮にて高八十石被寄附其の後京極若狭守入国の時又、神領没収せらる、それより伊勢宮は氏子にて建立す。
豊宇気毘賣神は当時、止由気宮字中天と申処より合祭す、其他の合神は当時境内末社に祀れると、神領没収につき社殿建立ならず依って之を御魂社と称し合祭す。
氏神産土伊勢両大神宮と称せし当時、明暦元乙未年高濱村の内、里方村と山方村とに相分り、延宝七巳未年山方村の内、矢尾、日下とに分り、里方、矢尾、日下三ヶ村氏神、産土伊勢両大神宮と称せり(社記のよる)明治5年3月12日村社に列せらる。大正4年6月14日島根県告示第212号を以て神饌幣帛料を供進し得べき神社と指定せらる。
高濱神社
たかはまじんじゃ
- 鎮座地
- 島根県出雲市里方町字宮代原1078番地
- 御祭神
- 天照皇大御神、(配祀神)豊宇気毘賣神、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、大己貴命 ほか
- 例祭日
- 10月9日
- Map
- 島根県出雲市里方町字宮代原1078番地