由緒・沿革
当社は源頼朝の勧請した出雲八社八幡の第四社である。
建久7年(1195年)源頼朝が臣田槇安房守に社地を選定させ、建永元年(1206年)に至って新殿落成し、時の出雲守護佐々木義清に鎮祭させた。
当時佐古(迫)に鎮座されしが、文永2年(1265年)10月、地頭三善久清が現在地に奉還した。
旧社地には小祠を奉じて太田八幡と称し、御神幸所になっている。当社は其後松平広瀬藩に至っては藩主の祈願所として崇敬され社領三十石を附されていた。
尚創立年代は不詳にて石清水八幡宮の別宮にして所謂太田別宮であったと伝えられる。