くにたまの会

由緒・沿革

一、「三国名勝図會」によると「社は小村の海辺にあり、ご祭神は大己貴命、相殿 左に少彦名命、右に大歳神 三座なり。
祭祀は、大祭 旧二月十三日(祈年祭)同、旧三月十三日(まむし除祓祭)
    同、七月吉日(神幸祭)同九月二十九日(例祭)中祭、旧十一月初丑の日
延喜式内社で大隅国囎唹郡大穴持神社、此の社なり。
初め社は宮洲にあり、ご神体は石像だったが現在は木像である。その宮洲は今の社地を距ること午の方八町許の海中に在り。(都あるが、古老の魚師(故、西田源治宇治)の話によると天隆川沖左側に宮瀬と呼ぶ瀬があるとのこと。これがその宮世洲だったのではないか、そしてその後水没して瀬になったのではないかと思われます。)

一、続日本記によると、光仁天皇宝亀九年十二月(西暦778年)此の宮洲の島の上に(神造島)社祠を建てられたが、その後その島が崩れて海中に沈入したため今の地に遷されたとあります。
又毎月朔日の夜、小村の海中から火の玉が出て国分の若宮八幡の庭に至って消えるとのことで、その間約一里、火は灯心燭位で地上五尺の所を飛んでいくと言う。その一条の火は決して他に散らず人の又火の道に家を建てず垣も結ばぬと。俗に大穴持の火という。と書かれる。
又「此の小村(現在の広瀬)には麻を植える事を禁。又蝮が生きられず、古来当社よりまむしを除く神布符とお守砂が出されているが奇験あり。」とあります。

一、又、国分諸古記によると、大己貴命は昔奥州津軽山に鎮座されていたが、西国に守護神が少ない故に勅命を以て西国の鎮主として下向の折、常陸の国橘氏、宮永氏四人の兄弟、岩元氏の一族等一行二十五人で神興の前後を守護し奥州水の渡、津軽山より負い下って日向の串島にお着きになり、それから福山迄来られたが、よい船がなく敷根迄道を作って(神割坂)おいでになり敷根から舟で大隅国服瀬の渡に着船、そこで福島村にお仮屋を作られ、その後小村に本宮をお作りになったとあります。

一、当社は延喜式内社といって大変古い格式をもった神社であることはご神札(まむし除祓の神符)に用いられている「日文字」よっても窺えるようです。

一、先代宮司谷口友衛氏(谷口家十一代目宮司)の口伝にとると大己貴命が農道を徒歩しておられる時向うからこって犢牛(コッテ牛ー雄牛のこと)が突進してきたので命が麻畑に遁れられたところ、その麻畑にいた蝮に咬まれたとのこと。その為、命が犢牛と麻と蝮を嫌われるので広瀬(旧小村)では犢牛を飼ったり麻を植えたりすると家が栄えないと言われ、昔からこの部落には馬は多数飼われていたが、牛を飼う人は殆どいなかったと言われます。又、此の部落を中心に天降川と検校川の間には蝮が生息しないと言われております。
又、名前を沢山お持ちの神様ということでご神徳も豊富だと言われており、医薬、温泉の神、醸造の神、武運、開運招福交通安全の神、病気除け厄除けの神、縁結び、安産の神、家内安全の神として知られ、現在は広瀬部落の氏神様として崇敬厚く古来よりまむし除けの神様として姶良部内は勿論、鹿児島市、川辺市、日置氏群、薩摩群、曽於群、宮崎県都城市方面からの信心熱き参拝者が多いのです。

特殊神事

1.神幸祭 7月下旬
2.六月灯(献灯祭) 7月下旬
3.広瀬地区合同七草祭
4.まむし除抜祭、うしの日祭
5.結婚式
6.年祭(厄除、還暦、喜喜)

地域の伝統行事

ハンギリ出し(ボラの子魚)

大穴持神社

おおなむぢんしゃ

鎮座地
〒899-4321
鹿児島県霧島市国分広瀬3丁目1089番地
御祭神
・大己貴命
・少彦名命
・大歳神
・霧島大神
・住吉大神
例祭日
9月29日
交通
国道10号沿ひ、日豊線 国分駅より約4Km南方 鹿児島中央駅より、国道10号をバスにて霧島方面に約35Km(西広瀬下車、約1時間)
Map
鹿児島県霧島市国分広瀬3丁目1089番地