くにたまの会

由緒・沿革

当地は、元飯石郡一宮村大字高窪字西谷
明治32年(1899年)頃、当地及びその付近に伝染病が流行した。地区民出雲大社へ日参し伝染病の平癒を祈願したところ、悪疫が鎮まった。そこで謝恩のため出雲大社の大神の御分霊を勧請し、大社教の講社として神祠を造営して信仰した。当時は三屋神社の氏子であったので、その神官から眞幸社と命名された。
以後大社教の下部組織である「講社」として、天災・悪病・飢餓の発生に対処すべく、平穏無難・福徳円満を祈求し、大国主大神を御祭神として崇め、地区民厚い崇敬を捧げてきた。
明治の頃は、この「講社」のことを「教会講」と称していた。現在も「教会講」祭には懸軸を奉掲して祭典が行われている。
沿革として、市町村合併を繰り返し、現在氏神「眞幸社」の地元に社家がなく、宮司が死亡又は不在になる度に近隣の神職が宮司になるという不安定な状況が続いている。
少子高齢過疎化の中で、氏子戸数も17戸となり、大人子どもによる獅子舞も途絶えて、神社の維持運営も厳しい状況である。
・昭和16年、一の宮が三刀谷町と合併する際に、西谷地区は簸川郡上津村に編入した。
・昭和23年創建50周年に際し拝殿の改築、鳥居の建立等神社形態が整備された。
・昭和30年、上津村が出雲市に編入となり、出雲市域の神社となり、今日に至っている。
・平成9年の遷宮で、本殿の屋根は銅板葺で千木と勝男木が付けられている。

地域の伝統行事

特になし。

氏子地域内には西谷の上・下に荒神社があり関係者(ほとんど全戸)が氏神「眞幸社」に集合し、合同祭の後、各荒神社にも参拝し、各戸それぞれ御幣を持ち帰って神棚に祀っている。

眞幸社

まさきしゃ

鎮座地
島根県出雲市西谷町1521-1
御祭神
大国主命
例祭日
例祭11月
祈年祭4月
新嘗祭11月
交通
国道出雲・三刀屋線、JRバス和久輪下車、徒歩30分
Map
島根県出雲市西谷町1521-1